退任挨拶

美唄市民の皆さま、労災病院職員の皆さま
北海道のせき損医療を守り地域医療に貢献するのが労災病院運営の基本方針です。



前院長 安田 慶秀

略歴 北海道大学名誉教授
日本血管外科学会前理事長
日本心臓血管外科専門医
日本外科学会専門医

ご挨拶

今年の冬は記録的な豪雪に見舞われましたが、ようやく春の兆しが見えてまいりました。わたくしは5年間の任期を終え、3月末日付で退任いたしました。ご支援いただきました皆さまにこころからお礼申し上げます。退任にあたり5年間の労災病院の歩みを振り返り今後の課題について考えたいと思います。

平成13年の閣議決定「特殊法人整理合理化計画」とそれに続く「労災病院と市立病院との統合問題」(平成17年)を契機に、労災病院からの医師離れが進み、美唄市は平成19年「統合案を白紙撤回」致しました。労災病院医師減少がすすむ中、病院経営も厳しくなり、一時は病院の存続も危ぶまれる状態になりました。そのような中で、労災病院運営母体の労働者健康福祉機構と旧「美唄労災病院」は北海道のせき損医療を守る立場から、医師不足による膨大な経営赤字を克服するため組織をスリム化し、「北海道中央労災病院せき損センター」として再編・再発足いたしました。

「せき損」(脊髄損傷)は労働災害などによる転落や交通事故、スポーツ事故で起こりますが、最近では転倒による高齢者のせき損患者さんも増える傾向にあります。脊髄損傷の程度により下半身麻痺、重症なものは自分で動くことはもちろんのこと、ほぼすべての運動機能をなくし、さらに重症になると自分で呼吸することが出来ずに人工呼吸器の助けで生命を維持していくことになります。せき損患者さんの治療には熟達した脊椎外科の専門医に加え、優秀な看護チーム、リハビリテーション技師チームの存在が必要です。事故後の急性期から、社会復帰あるいは家庭復帰までトータルに扱える施設は道内にはわれわれの「センター」があるのみで、全国的にも数施設のみです。さらに排尿・排泄も難しくなりますので定期的に泌尿器医師に診てもらう必要があります。毎年新たに発生する患者さんは100万人あたり約30人、北海道全体では約150人です。このうちの重症例から最重症例の殆どが当「センター」に救急ヘリ、あるいは救急車で札幌はじめ全道各地から送られてきます。重症せき損患者にかかる医療コストは、通常の整形外科患者さんの4倍から6倍と計算され、現在の医療費体系ではせき損医療は構造的に「赤字」になります。労災病院は「政策医療」を行うことを主な目的の一つに掲げており、「赤字」は全国の労災病院ネットワークから補填されます。国からの補助はありません。平成20年以降、職員の献身的な努力により経営目標を達成できておりますが、医師団の頑張りは限度に近い状態であり、このまま医師の過重負担が改善されなければ医師団が倒れ、せき損医療の継続と病院の存続すらも難しくなる事態も考えられます。

労災病院は地域医療にも貢献する目的を持っております。美唄市の人口は昭和35年には9万人を超えましたが、現在は2万6千人弱まで減り、さらに減少傾向が続いております。この傾向は周辺の岩見沢市、深川市、滝川市、砂川市も同じであり日本の地方都市に共通する現象と考えられます。地域人口の減少は、病院運営面からは患者さんの減少・病院経営悪化ということにつながります。当「センター」入院患者さんの60%は札幌市、岩見沢市などの周辺地区から来ており、整形外科では70%が美唄市以外の地域からの患者さんで占められております。美唄地区には四つの病院がありますが多くの病院で医師の高齢化が進んでおり、救急医療をはじめ多くの課題が存在します。美唄市では高橋市長を委員長とする「今後の地域医療体制のあり方検討委員会」で検討を進めており、この中で「一つの基幹的病院(中核病院)を中心に他の医療機関との機能分担・連携による医療供給体制づくり」等に重点的に取り組む方策が検討されております。労災病院の果たしてきた歴史、体力等を考えたとき、当「センター」はこの構想に深く関わることになるものと考えられます。地方都市における病院経営は医師確保、看護師確保が難しく、当地区でも容易ではありません。病院存続は単に病院の職員の雇用確保の問題に限らず、地域経済にも大きな影響を及ぼします。地域全体で支える医療体制、病院支援について職員はもちろんのこと市民の皆さまにも積極的にお考えいただき、提言いただければと思います。

最後になりますが、昨年の東日本大震災以降「未曾有の」とか「想定外」というような言葉があまりにも軽々しく使われるようになりました。政府の震災や原発事故に対する対応、オリンパス社の粉飾決算問題、AIJの年金運用の不祥事に見られるあまりにもお粗末な危機管理能力。東京電力福島第一原子力発電所事故では十分な事故究明・検証がされないままに原子炉低温冷却停止「状態」が宣言されました。新聞では「東南海トラフ巨大地震」の危険性が大きく報道され、一方では原発再稼働に向けて電力会社、政府の動きも活発です。私は昭和16年に沖縄に生まれ、太平洋戦争で「鉄の暴風」が吹き荒れた島で生き残ることが出来、縁があってこの五年間労災病院で勤務させてもらいました。鉄血勤王隊の学徒兵、郷土防衛隊への徴兵、避難先の山中におけるお産、あるいは栄養失調などで私自身の身内も何人も亡くなっています。1952年、サンフランシスコ講和条約によりアメリカの日本占領が終わったあとも、沖縄はアメリカ軍の統治下に置かれ、軍事占領下につくられたアメリカの軍事基地は1972年に沖縄が日本に復帰したときもなくなりませんでした。憲法九条をもつ「平和国家日本」は幻想でしかなく期待は裏切られました。今、問題となっている普天間基地は住宅密集地のど真ん中にあり、2年前には隣接する大学に訓練中の大型ヘリコプターが墜落し大惨事になる一歩手前で世界一危険な基地といわれております。政府は普天間基地を辺野古へ移設しようとしていますが、これは「移設」ではなく新たな基地の建設であるといわれております。日本国土のわずか0.6%の面積しかない狭い沖縄に、すでに日本全国米軍基地の75%が存在し、さらに新たな基地をつくるとはどういうことでしょうか。是非お考えいただきたいと思います。

北海道中央労災病院せき損センターは北海道のせき損医療の中核であり、また地域医療に貢献できる病院を目指して志の高い医師団を中心に多くの職員がこの5年間頑張り、また多くの市民の皆さまに支えていただきました。「一人ひとりが自分の役割を考える、患者さんのために考える、自分と家族のために考える、病院と地域のために考える、そういう病院・医療でありたい」。わたくしはこの病院で働くことが出来て本当に幸せでした。病院の発展を祈念し退任の挨拶と致します。